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私の実家は男兄弟だったのでひな祭りはありませんでしたが、妻の実家では、ちらし寿司でひな祭りを作ったりしており、とても新鮮でした。 |
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毎年出す雛人形ですが、年齢が年齢だけに、だいぶアンティークの装いとなってきていて、近年は子供の頃とは違った気持ちで怖いです(苦笑。 |
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ひな祭りの思い出は子供の時のアラレかな。 |
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年齢的に田舎という事もあり段飾りのお雛様はなかったけれど、大きなお内裏様飾りと組立式の飾りが楽しみで・・・、娘はいないので、現在の家ではお雛様がないのが寂しく、加齢になり自分のためにお雛様の購入を考えはじめたこの頃です。 |
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我が家は狭くてお雛様を置けなかったのでかわりに市松人形でした。それがすごく嫌でいつも文句ばかり言っていました。中学校ぐらいにはとうとう押入れから出さなくなってしまい、それから見ていません。しかしあの市松人形はヘタなお雛様より高価なものだったらしく、子供ができた現在親にイヤミっぽく言われます(笑) |
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おうちが小さかったため小さいころからあるお雛様はガラスケースに入ったオルゴール飾りですが40を超して毎年卵の殻でお内裏様とお雛様を居間に飾って愉しんでおります。お金でなく気持ちが大事♪ |
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今年のひな祭りは実家に集まってお祝をしました。実家には父が飾ってくれた7段のお雛様が。小さな頃には母と一緒に飾りお人形さんごっこを妹として遊んでいました。そのせいでよく見ればひどい有様なのですが、それも今となっては懐かしい思い出です。 |
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中学生の時友達の家でひなまつりパーティーをやり、その時お内裏様の人形を触ったらシャクが折れて・・・結局言えず終いで・・・。10年間言わず、先日ついにその事を伝えたら実は友人が先に折っていた事が発覚!!10年間モヤモヤしていたのに!!正直に言わない人間に罰があたったんですね〜^^;反省です。 |
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ひな人形と一緒に撮っている写真がないので、母に聞いたところ、私は祖父母に買ってもらったひな人形を怖がって、しかもなぜか敵意も抱いていて「あいつがこっちみてた」「あいつがばかって言った」など、母親がちょっと心配になるようなことを言っていたらしいです・・。ひな人形をアイツ呼ばわり・・バチがあたりそうですが、幸い結婚はできましたvv |
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ひな祭りは、うちは貧乏だったのでひな人形がありませんでした。でも、ひな人形が家に無いとどうしても友達に言えず、毎年苦しい日でした。6歳の娘には3段のひな人形を買うことが出来、毎年娘に、ケーキでお祝いしています。ひな祭りを子どもが出来てからやっと楽しめるようになりました。 |
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わたしの家には、わたしが小さいときに両親が撮ったひな祭りの時の写真があります。愛されてたんだなーと、実感しました。 |
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私が小さいうちは親が飾ってくれましたが、小学校高学年になると自分で飾って自分で仕舞ってました。段々飾りだったので骨組みの組立が大変でした。 |
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子供の頃、母と妹と三人で五段飾りのひな人形を毎年三時間ほどかけて段を組み立て、人形を一体一体丁寧に出して飾り付けをしていました。そんな私と妹も結婚し、今年は実家でのお雛様の出番はなかったそうです。今度は私たちに娘が生まれたとき、また一緒に飾りたいねと話しています。 |
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祖母と叔父たちがお金を出し合って買ってくれた雛人形を、2月に母と飾るのが楽しみでした。毎年ひとつずつおもちゃの家具を買い足してくれた母の優しさが、今、心に残っています。 |
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ひいおばあちゃんは流産しやすく、1人だけ生まれた女の子(おばあちゃん)のために、戦前住んでいた東京で、お内裏様とお雛様を買いました。その後戦争が激しくなり、東京大空襲を経験し、終戦後青森へ引っ越しましたが、その時お雛様も苦労しながら持って行きました。青森で、1年に一度ためたお金で、三人菅女や五人囃子を1体ずつ買い集めたので、実家のお雛様は、それぞれの人形の顔や年代が違います。でも、ひいおばあちゃんの思いが詰まったお雛様はとても大事にされ、今年も大事に飾られました。 |