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神戸からの手紙

神戸と路面電車

路面電車

今、神戸市内では平成13年7月の完成をめざして地下鉄海岸線の工事が急ピッチで進められています。しかし、市内を走る電車といえば、やはりあのガタゴトと走る路面電車を思い起こす人が多いのではないでしょうか。明治22年に市制を施行して以来、神戸市内の交通需要はめざましい増加を示し、全国的な鉄道ブームの中、神戸でも市内への鉄道敷設の気運が盛り上がります。路面電車という意味では、阪神電気鉄道(阪神電鉄の前身)や阪神急行電鉄(阪急電鉄の前身)の一部が先に神戸市内の路面を走っており、更に昭和49年3月まで上甲子園−西灘間を走っていた阪神国道電軌がありますが、ここでは神戸市電を考えてみましょう。

神戸の市電の前身は神戸電気鉄道という民間会社。明治37年に内務省に鉄道敷設申請を出願しますが、許可が出るまでには時間がかかり、明治43年4月5日にようやく兵庫駅前−春日野(現在の春日野道)間の開通にこぎつけます。神戸の新しモノ好きはここでも発揮されて、当時一般的にオープンデッキ方式が導入されていたのに対し、全長が10メートルほどもある大型で運転台には折戸式の扉がついた最新鋭の車両を一気に29両も導入します。
新型車両がレンガ造りの洋館を横にみながら栄町通をゆっくりと走る様を想像するのは実に楽しいことです。しかも路面は良質の花崗岩。その道に今はレトロな形をしたバスが観光客を満載して走っているのはご存じのとおりです。
その後、紆余曲折(うよきょくせつ)がありましたが、ようやく大正6年8月1日神戸市営電車として再スタートします。当時の一日の平均乗客数は11万人強。
そして、次々と路線は延長され、その間には昭和不況、大水害、第二次大戦と様々の危機がありましたが、一貫して市民の一番の足であったことは間違いありません。昭和10年の女性車掌登場の驚きを懐かしむお年寄りもたくさんおられるようです。
利用者のピークは昭和36年。一日の平均乗客数は40万人を超えていました。しかし、それ以降は日本の経済成長とは裏腹に、そして、クルマ社会の浸透に追い討ちをかけられるように利用者の数が滅っていきます。車の渋滞に巻き込まれて立ち往生することもしばしば、次第に市電は邪魔者扱いされるようになっていきます。この時期に地下鉄の建設計画が浮上、路面電車の利便性と維持費の高さのアンバランスが指摘され、財政状況とも相まって廃止の運命が決まります。
神戸の街から路面電車が完全に消えたのが昭和46年3月13日。大阪で万博が行われた前年のことです。その日最後まで残っていた板宿−三宮間の10.6キロが廃止されました。今、日本各地で走っている路面電車は、その数19都市20路線、241.9km。
最近、路面電車の見直しの気運が全国で高まっています。外国の例を挙げるまでもなく、二酸化炭素を排出しない交通機関として、再び注目されてきています。
神戸経済界でも中内功氏をはじめ何人かの方々が、神戸復興の一助として路面電車の復活を取上げています。
地下鉄と路面電車の共存という日が、 近い将来、来るかもしれません。

参考文献:「日本の路面電車2(廃止線西日本編)」、(原口隆行)JTB 他


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