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ホーム > 特集 > 神戸からの手紙 > 六甲山に包まれて

神戸からの手紙

六甲山に包まれて

◆六甲の治山

六甲山

六甲山は阪神間二○○万の人々にとって、街の背景としてだけではなく、北風からの守りであると同時に、ほんのわずかの時間でその懐に飛び込むことのできる母なる山として聳(そび)えています。

最高峰931メートルの連山《六甲》は、今でこそ深い森に覆われ、一歩間違えれば遭難することも十分あり得るような姿ですが、これは昔からのものではありません。元来、花崗岩である六甲山は、風化を受けやすく、崩れやすい禿げ山が本質。明治期の写真を見ると、恥ずかしいほどに山肌が現れていて、けっして緑豊かな山とは言えません。周辺は昔から文化が発達し人口も多かったことから乱伐乱採が行われ、また人の出入りが多いためか山火事が相次ぎ、本来の植生が失われてしまったともいいます。漸(ようや)く大正、昭和にかけての植林で今の姿に戻りました。深い緑の中には、外来種が定着しているというのも、国際都市の特徴なのでしょう。
扇状地形の多い急斜面は、大雨に際しては雨と土砂が土石流となって市民を襲ったこともあります。しかし、一方で急斜面を流れ落ちる川の水は、水車という道具を伴って精米の生産性を飛躍的に上昇させ、伏見、伊丹を抜いて灘の酒を全国一の銘酒にするのに一役買ったのは歴史の事実です。

六甲山牧場 羊がのんびり草を食む六甲山牧場の風景はヨーロッパ的な雰囲気

◆六甲登山

ハイキング用の地図を広げるとカタカナの地名が多いことに気付きます。外国人が使っていた名前がそのまま残っているのです。  信仰や修行の場としての大龍寺や天王寺、有馬への海産物を運んだ〈魚屋道(ととやみち)〉や幕末の悲劇の街道〈徳川道〉と、人の往来は昔から盛んでした。しかし、六甲山に「登山」を持ち込んだのは、神戸の開港を受けて外国人居留地に住み、別荘地としての六甲を愛でた外国人たちだと言っても間違いないでしょう。散歩しながらの外国人たちの雑談は、後に日本で初めてのゴルフ倶楽部「神戸ゴルフ倶楽部」を生みます。

神戸ゴルフ倶楽部 日本ゴルフ発祥の地でもある神戸ゴルフ倶楽部

先駆者としてイギリス人グルームの名は有名です。日本を愛したグルームは1918年に神戸で没しましたが、葬儀は日本式、墓所も外国人墓地ではなく、日本人の妻の実家宮崎家の墓地に葬られています。
六甲登山のハイライトは何といっても〈六甲山脈縦走〉です。神戸の西の端、塩屋、須磨から宝塚へ至る山稜線をひとつひとつ忠実に登り下りして、これを一日のうちに踏破しようとするもので、歩く距離56キロメートル、登る高さの累計2000メートル所要時間14〜16時間の強行軍です。神戸市の主催で、昭和50年から毎年「六甲全山縦走市民大会」として開かれています。毎朝登山とこの六甲山縦走は、震災から二年の神戸でどちらも再開されています。


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