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神戸からの手紙

神戸ビーフのルーツ

◆美味なる”神戸肉”

神戸ビーフのルーツ

「翌日午前十一時、神戸に着き、山陽鉄道に乗りうつる。この汽車は動揺甚だしけれども、食堂の設けあるのみが、他処の汽車に例を見ざる便利の点也。須磨、舞子、明石など、景勝の地を、幾皿の肉と一瓶の酒とに陶然とすごし、岡山にて乗り換えて、作州の津山に着きしは午後七時なりき。」明治の文豪大町桂月の「迎妻旅行(明治33年)の一節。 日本ではじめて汽車に食堂車を連結させたのがこの山陽鉄道。その時期は明治30年説、33年説と諸説ありますが、供される料理は最初から西洋料理でした。ステーキ用の肉は神戸の町で積み込まれたに違いありません。神戸ステーキを食べながら、瀬戸内海の海を眺めるゆったりとした汽車の旅とは実に優雅な趣です。

商売としての西洋料理は、多くの西洋人が定住した長崎の町が始まりだともいわれていますが、庶民の前に牛の肉を売る店が登場するのは江戸時代も終わり近くまで待たなくてはなりません。東京(江戸)に初めての西洋料理店ができたのが慶応3年(1867年)。天武4年以来の肉食禁止令も庶民の好奇心の前では有名無実にひとしかったようです。
初めは物珍しさもあって、客は西洋料理を食べたという、そのことを自慢するために店を訪れ”勇気を出して”肉料理に挑戦していたといいます。

ステーキ 老舗のステーキハウスでは、炭火で焼くのが
一番美味しい料理法だとか。

◆肉鉄道に乗る

当時は牛肉をアメリカ辺りから輪入していたようですが、”好奇心”という需要は益々高まり供給が追いつきません。慶応初年に、外国商船が神戸で「三丹州」(丹波、丹後、但馬)の牛を三、四十頭買って、肉不足になった横浜に運んだという記録もありますが、このことは、当時からすでに但馬の肉が有名だったことを物語っています。兵庫沖に停泊する外国商船や軍艦も競ってこの神戸ビーフを買い付けています。当初は淡路、四国、中国地方からも広く買い付けられていましたが時代が進むにつれて、但馬で血統の正しい素(もと)牛から生まれ、三丹で育った牛が正統な神戸牛としての伝統を形作っていきます。神戸牛といえば但馬牛、但馬肉をさすわけです。

精肉店 街には神戸ビーフを扱う大きな精肉店が
大通りに店を構えています。

 但馬牛は約1200年前に編纂された日本国正史のひとつである「続日本紀」にも「耕運、輓(ばん)用(車引き)、食用に適す」と記載されている由緒ある牛。明治8年には一カ月で800頭が屠牛されたという記録もあり、その数宇は横浜、東京、大阪、名古屋を大きく上回っています。  美味なる肉の供給基地としての神戸には当然外国人やハイカラな日本人たちを相手に西洋料理の店が多く登場します。そして、旨い肉料理に欠かせないのが「ワイン」。神戸ステーキの歴史と評判の「神戸ワイン」は無縁ではなさそうです。

参考文献:「兵庫の和牛」兵庫県、「にっぽん洋食物語大全」講談社、
「神戸ハイカラ文化の伝統」、(財)阪神・神戸産業復興推進機構、他


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