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神戸からの手紙

国際都市・神戸の学校

◆学校の生い立ち

国際都市・神戸の学校

神戸には学校がたくさんありますが、公立の画一的教育から離れて独自の方針を掲げる私立学校が多いのが待徴です。多くの私立学校の創立が神戸の歴史と不即不離の関係にあり、明治時代にすでに100校を超える学校が設立されています。

神戸女学院
神戸女学院

とくに際立っているのがキリスト教に基づく教育を掲げる学校が多いこと、関西学院、六甲、神戸女学院、夙川学院等14校を数えます。例えば”神戸女学院”。毎年5月半ば、創始者であり日本に来た初めての婦人宣教師であるイライザ・タルカットの六甲山の墓地へ札拝に向かう生徒たちの姿を見ることができます。女学院の創設は明治8年。当時の日本政府は、不平等条約を改訂するのに必死になっていました。なかなか改訂が進展せず、旧い国粋主義者たちは外国人を、そしてキリスト教を目の敵にしていました。そんな中で彼女をバックアップしたのはキリシタン大名でもあった三田の九鬼義隆。九鬼水軍の末裔、最後の三田藩主です。

灘中学校・灘高等学校
灘中学校・灘高等学校

また南メソジスト教会の宣教師ランバス親子の場合、父は神戸でパルモア学院を設立して、後、広島へ伝導に赴き現在の広島学院を設立。息子は関西学院を設立し、母は今の聖和大学の前身であるランバス女学院を設立します。開港したとは言え、近代的教育とは縁の薄い一地方に過ぎなかった神戸の学校教育は外国から来る宣教師たちの力を頼るしかなかったのが、実情だったのでしょう。
そしてもうひとつの特徴が酒造メーカーの創業者たちによる学校設立です。明治44年、御影の酒造家大江生松が日露戦争後の浮かれた世相を憂えて、「勤勉」を旨とし、二宮尊徳の教えを墓本とする”報徳実業”を開校します。続いて大正9年には「白鹿」の辰馬家が”甲陽中学”を創立。昭和2年には「白鶴」「菊正宗」「櫻正宗」といった酒造会社の経営者たちが協力して子弟の教育のために”灘中学”を開設します。ご存じ有名進学校の”灘”です。宮水と杜氏と山田錦と六甲水車の組み合わせでついに伏見、池田、伊丹を凌ぎ、全国一の酒の生産量を誇り関西経済の一翼を担うに至った灘の酒造メーカーの経営者たちは、子弟の教育にも並々ならぬ意欲を示して学校を次々と設立しますが、いずれも、現在、進学校として名高い学校ばかりなのに今更ながら驚きます。

◆国際色豊かな学校

この他に神戸らしさを示すような外国人子弟の教育機閥としての各種学校もたくさんあります。そのひとつ、カナディアン・アカデミーのある六甲アイランドに向かうモノレールの通学時間帯の車中は、いったいどこの国に迷い込んだのかと思う程、外国語が飛び交っています。震災を受け、一部の学校では校舎の損壊で郊外に仮校含を建てて授業を行いました。神戸の復興・発展と共にこれからは、学校の立地も変わっていくのかもしれません。


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