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神戸からの手紙

神戸チョコレート物語

〈富士山には月見草がよく似合う〉といわれるように、
「チョコレート」は神戸に似合う”月見草”かもしれません。

神戸チョコレート物語

チョコレートの前身がヨーロッパに伝えられたのは16世紀中頃。スペインのフェルナンド・コルテスがメキシコのアステカ王国から持ち帰った「ショコラトル」が最初だと言われています。製造技術はスペイン宮廷秘中の秘。しかし門外不出の技術も、1615年スペイン宮廷からの王女アンヌのルイ13世へのお輿入れでフランスヘ伝わり、やがてフランスから全ヨーロッパへと広がっていきます。日本で初めてチョコレートが製造・販売されたのは明治11年(1878年)東京両国の米津風月堂。「一番好き」の神戸も、ことチョコレ−トに関しては東京に遅れをとったようですね。
ロマノフ王朝ゆかりの製法といわれる純ロシア・スタイルで大正12年(1923年)神戸の北野町でチョコレートの製造・販売を始めたのが、マカロフ・ゴンチャロフ。また大正15年(1926年)にはF・D・モロゾフも神戸でチョコレート作りを始めます。このニつのロシア系一家が神戸のチョコレートの歴史を作り、本場の味を今に至るまで伝えているのです。神戸のチョコレートにはロシアの香りがするといわれるゆえんです。
当時神戸にはロシア人だけでも約300人いたのですが、その多くはロシア革命を逃れて神戸の港へやっとの思いでたどりついた人々だったといわれます。ヨーロッバをはじめとした食文化の長い歴史をもつ国の人々が多く住んでいたこと、そしてハイカラ文化のシャワーを十分に浴びている日本人の多い地域であったことなどが、たとえ後発メーカーであっても神戸のチョコレートを全国的に有名にしたといえるでしよう。そういった緊張感はチョコレートに限らず〈食の技術〉を錆びさせないものです。「良き客が良き店を育てる」マーケットの大原則がここでも生きています。

同じ頃、東京でスタートしたドイツ系のユーハイムも関東大震災後の混乱を避けて神戸で店を開きます。神戸風月堂もフランス式のチョコレートの販売を始めますが、技術移転には現地スタッフの育成が必須。すでに神戸に根をおろし、伝統の味を誇るモロゾフ、ゴンチャロフ一家の薫陶を受けないチョコレート職人は居なかったと言ってよいでしよう。
メキシコからスペインへ、スペインからフランスへ。そしてロシアを通って日本に伝わった神戸のチョコレートの味は先人の苦労もあって日本人の口に合うように変えられてきているのですが、そんな中にヨーロッパの歴史の香りを嗅ぐのも一興でしょう。
今、神戸の外国人墓地に眠る2491柱のうち、ロシア人は200柱、イギリス、アメリカ、ドイツについで4番目。F・D・モロゾフも六甲山の深い緑の中で静かに眠っています。

参考文献: 「神戸のパン・ケーキ・チョコレート」神戸新聞出版センター
「美味礼賛」ブリア・サヴァラン 岩波書店
「チョコレートの科学」蜂谷 巌 講談社


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