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神戸からの手紙

異国に眠る人々

神戸外国人墓地
神戸外国人墓地

神戸の外国人墓地は六甲山の裏山、再度山の懐深く、修法ヶ原の海抜465メートルのアカマツの林の中、ひっそりと緑に囲まれています。六十カ国、二千六百柱が眠る15万平方メートルの敷地内は長い回廊が巡らされて、いくつもの区画に区切られています。

横浜外人墓地
横浜外人墓地

一方、横浜のそれは、有名な「山手外人墓地」の他に「横浜根岸外国人墓地」「英連邦戦没者墓地」そして中国人たちの墓所「地蔵王廟」があり、セットで観光案内にも載っています。一番大きい横浜山手の外人墓地は1万8,300平方メートルに四千三百柱が眠り、死して後までも大変な人口過密状態です。国別ではアメリカ、イギリスが多く、その数は四十数カ国を数えます。それぞれの墓地における埋葬者第一号は、港町らしくどちらも船員です。

神戸では開港を前にした年の暮れ、各国船隊の集まる中、十二月二十四日クリスマスの日にアメリカ艦「ハートフォード」のペイジ見習い軍医、マッカーティ水兵、イギリス旗艦「ドロネイ」号のターナー大尉、そして英艦「アドベンチヤー」号のコリンズ下士官の四名が埋葬されたとされています。
慶応三年一八六七年のことです。横浜外人墓地の第一号の埋葬者は、一八五四年ペリー提督率いるアメリカ東インド艦隊「ミシシッピー」号のウィリアムズ船員。期せずして同じような軍人の埋葬者を第一号として墓地の歴史は始まりました。ところで、東西の港町をささえた在住外国人で数の多い中国人(清国人)の名が、神戸では旧居留地の名簿にも載っていませんし、この墓地の埋葬者の中にも見当たりません。
当時、外国人墓地も居留地も「条約相手国」だけを対象とした話であり、それ以外の国の人達は居留地を外れた場所に住んでいましたので、そのことに関係があるのかも知れません。
今、中国の人達の墓地は神戸市長田区の市街地にあり、3万9,000平方メートルの広大な敷地の三分の一に二千柱が埋葬され、三分の二は山林のままになっています。
その点、横浜は清国人も居留地の一角に住居を構えていて明治五年にはその数が一三〇戸あり、すでに華僑杜会が形成され中華街の最初の姿が早い内に出来上がっています。
埋葬にしても、慶応二年(一八六六年)には条約が一部改正され、山手外人墓地内に1,600平方メートルの中国人墓地が設けられています。
墓碑はまとまれば一つの歴史の資料です。しかし、それは元来個人のメモリアルです。さまざまな形があり、それに記された短いが愛情に満ちた言葉が、たとえ誰も訪れる人がないにしても一人の人の強い個性を物語っています。
こんな墓碑が紹介されていました。どんな人だったのか会ってみたい気がします。

墓碑 死んだんじゃない。
たった今ちょっとでかけたんだ。

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