• オンラインショップ
  • 商品紹介
  • 店舗一覧
  • 資料室
  • 談話室

ホーム > 特集 > 神戸からの手紙 > 阪神モダニズムの嵐

神戸からの手紙

阪神モダニズムの嵐

芦屋六麓荘界隈
芦屋六麓荘界隈

阪神間、この地域を大正以降のモダニズム文化圏でとらえると東は武庫川(甲子園ホテル〈現在の武庫川女子大学〉があった)、西は当時の阪急電車の終点のあった生田区上筒井六丁目(現在の中央区)の間を指していうそうです。
大正の終わりから昭和にかけて大阪のオーナー経営者たちは、芦屋を中心とした阪神間に別宅を建てたり、あるいは本宅として移り住みました。自然環境の良さに加え、都市計画が進み昭和5年には六麓荘土地会杜が作られ、芦屋の六麓荘の開発に取り組んでいたことなどがその背景にあったといいます。

当時、阪神間の経済人が文化人を支援することが流行していました。それは、この地が西洋との窓口として開かれた神戸の港に近く、外国人との交流を通じ彼らの影響を受けたからだと思われ、支援者の層は非常に厚かったといいます。
それに、現在のように投機を目的としたものではありませんでしたから、白樺派の武者小路実篤を支援していて、たまたま手に入ったのがゴッホの絵だったというようなエピソードも残っています。もっともこの絵は戦災で焼失してしまいましたが…。
文化人への支援は一種のステイタスだったのかもしれません。伝統文化を踏まえた幅広い趣味人、教養人であった彼らは、個人レベルの財力で後世に残るさまざまな美術品をも蒐集しました。いま、それらの美術品は、個人の手を離れ、財団法人として設立された美術館に収蔵、展示され、多くの美術愛好家の目を楽しませてくれています。明治12年に朝日新聞を創刊した村山龍平香雪翁の香雪美術館は、昭和48年に翁の40年祭を機に設立されました。

滴翠美術館
滴翠美術館

三和銀行の前身のひとつ、山口銀行の当主、山口吉郎兵衛滴翠翁の邸宅を改装した滴翠美術館は「天正かるた」「うんすんかるた」「職人尽し絵合わせ」などカルタでは質、量ともに日本一と言われており、モダンな和風建築は随所に個性的な装飾が見られ、収蔵品と共に訪れる人の目を楽しませてくれます。

西宮市大谷記念美術館
西宮市大谷記念美術館

西宮市に寄贈され、昭和47年に開館した、昭和電極社長であった大谷竹次郎氏の西宮市大谷記念美術館は7977平方メートルの広大な敷地に建ち、平成2年に増改築されました。

時代は少し遡(さかのぼ)りますが、灘五郷の白鶴酒造七代嘉納治兵衛鶴翁の白鶴美術館は、昭和9年に完成、開館した私立美術館の先駆けともいえる美術館で、国宝二件(書)、重要文化財二十二件を含む中国と日本の古美術品を蔵しています。
六甲山を借景に芦屋川、住吉川の河畔を望むこれらの美術館は「民」の財力が作り上げたことにその存在の大きな意味があるといえましょう。


このページの先頭へ