• オンラインショップ
  • 商品紹介
  • 店舗一覧
  • 資料室
  • 談話室

ホーム > 資料室 > お菓子の開発物語 > 高砂きんつば

お菓子の開発物語

高砂きんつば

高砂きんつば

大粒の小豆で作った餡のふくよかな甘さ、あんを包み込んだ小麦粉の薄い皮。さくっと割れる餡と、ややねばりのある皮が絶妙のバランスで、”きんつばといえば本高砂屋”といわれるほどの人気商品だ。いまでこそ、本高砂屋の作る角形が主流だが、明治半ば、初めて売り出された角形の六方焼き高砂きんつばはそれまでにない画期的商品だった。なにしろ、当時、江戸っ子の人気をさらっていた江戸きんつばは、刀の鍔(つば)のように丸形に焼かれたものだったのだから。誕生から約百年。本高砂屋のきんつばは、時代の嗜好、ニーズに合わせて少しずつ変化してきた。しかし、この老舗の菓子づくりの姿勢は一貫してゆるぎがない。

京菓子のおいしさが素材のハーモニーから生まれるのに対して、本高砂屋の菓子のおいしさの秘密は、素材そのものの味わいを最大限に引き出していることにある。素材を生かしきること、これは、本高砂屋三代目、現会長杉田政二の持論であり、創業以来、百二十年近い歴史のなかで本高砂屋が一貫して保ち続けてきたポリシーでもある。

変えねばならないものと、変えてはならないものを明確に区分し、ある点では時代に即応した革新性を発揮する一方で、またある点では頑ななまでに伝統にこだわり続ける。明治半ばから販売され、現在もなお人気商品の座を占めるきんつばは、こんな老舗の菓子づくりの姿勢が凝縮された商品、いわば”原点”といえるかもしれない。

四角立方に切ったつぶ餡を小麦粉の皮で包み、鉄板で焼いたきんつば。現在の私たちから見れば、何のてらいもない、実に身近な菓子である。しかし、本高砂屋が売り出すまでは、きんつばは丸形であった。そもそもは刀の鍔に似ていることから名前がついた菓子で、表面に指で押して模様をつけ、鍔に見立てたものだった。この江戸きんつばを、一度に多く焼けるように改良を加え、四角の高砂きんつばとして売り出したのが、創業者杉田太吉である。明治10年神戸・元町に店を構え、瓦せんべいに次いで、和菓子の製造販売にも着手していたのだ。店の周辺は神戸随一のビジネス街、すぐ南に活気がみなぎる神戸港をひかえている。多くの人が集まり、働く土地柄。「この人たちのために、たっぷりと甘くておいしいものを」と、太吉は考えた。そして作り出したのが、きんつばだった。大きさは現在の1.5倍、大粒の小豆に黄ざら(粗め糖)、さらに甘味を増すために多めの塩を使ったこってりとした餡。これが、爆発的な人気を呼んだ。

当初から、店の奥で職人がきんつばを焼き、焼きたてを店頭で売るという販売方法をとっていた。これに神戸っ子が連日のように並んだ。最も長い列は、昭和5年、神戸港で海軍の観艦式のあった時。観光客も混じって100メートルもの列になった。当時、きんつばを焼く職人が二十人近くいたが、それでも追いつかないほどの盛況ぶりだったという。

しかし、大ヒット商品が必ずしもロングセラー商品になるとは限らない。本高砂屋のきんつばが変わらぬ人気を保ち続けているのは、あくなき向上心を持った職人たちが、時代に合わせ育ててきたからこそ。こってり甘い特大きんつばから、現在のふくよかな甘さへの変遷。そのなかで、一貫して変わらないのは素材へのこだわりであり、素材の味わいを追求し続ける姿勢といえる。現在の製法が確立したのは昭和30年頃で、これについては次回に譲るとして、最後に杉田政二の言葉を紹介しよう。「きんつばの”極意”は、菓子職人がひとつひとつ自分のために焼いてくれたという手作り感にあります。また、小豆は各種栄養素を含むバランス食品で、その小豆をたっぷり使いますから健康食品でもあるのです。」百年も前に生まれた菓子でありながら、今の時代感覚に、実にぴたりとはまる商品ではないか。

このページの先頭へ

高砂きんつば

明治半ばにはじめて売り出されて以来、大ヒット商品となり、今も変わらぬ 人気を保ち続けている銘物高砂きんつば。百年を超えるロングセラーとなり得た秘密は、吟味をつくした素材を最大限に引き出すための努力と、発売当初の基本を守りつつ、時代の嗜好を考えつねに”生きた味”を作っていこうとする姿勢にあった。もちろん現代にあっても、一つひとつ職人が手で焼き、作りたて、焼きたての味を守ろうとする基本はゆるがない。きんつばという商品は、本高砂屋の菓子づくりの”原点”なのである。

人間の五感の中で、味覚ほどあやふやなものはない。一人ひとりの受け取り方が異なり、また同じ人でもその時の状態によって違ってくる。そんな不安定なものの上に、一つの定評をつくりあげる。これは並大抵のことではない。まして、その定評を守り続けてロングセラーにするのは、もはや”稀有”というべきだろう。高砂きんつばは、それを現実にした商品である。

創業者杉田太吉によって明治半ばに生み出されて以来、高砂きんつばは、時代に応じて微妙に変化してきた。そして、昭和30年頃に現在の製法がほぼ確立した。といっても、極上の素材を使い、素材の味を生かしきる姿勢など、基本は最初から全く変わってはいない。

大粒の小豆で作る餡。かつては、こってりした甘さだったが、現在は品のよい、しかしコクのある甘さになっている。変化といえば、これが一番大きな変化だろう。今のふくよかな味わいを作るために、上白糖とともに果糖が使われる。かすかにフルーティーな甘みが、小豆の味を引きたてるのだ。この餡を、寒天で固める。多過ぎると餡を割った時にさくっと割れず、寒天の味が後に残る。少ないと、焼くうちに指のあとがついたりする。なかなか厄介な代物である。

しかし、餡を包む皮はさらに難しい。餡とのバランス、餡を生かす厚みやねばりが必要だ。この皮のために「金砂御明神(きんさごおんみょうじん)」と名づけられた専用の小麦粉が開発された。何種類かの粉をブレンドしたもので、こねてグルテン(小麦粉のたんぱく質)を出し、弾力のある生地を作る。この弾力の出し方で、皮の食感が決まる。このように、高砂きんつばの中には、長年の経験の集積から探りあてた知恵と技が凝縮されている。いわば商品として完成された味の結晶。しかも、それをただ守るのではなくさらに”生きた味”として育ててきたのである。ここに、この商品のロングセラーの秘密がある。

今どき古風とも思える話だが、本高砂屋のきんつばは、一つひとつ職人の手で焼かれている。単に伝統だから守っているのではない。そうすることが最適だから変えずにいるのである。きんつば以外にも現代的な商品をいくつも世に出しヒットさせているのだから、必要とあれば最新鋭の機器を導入し、機械化することなどわけなくやりとげる。しかし、それだけが進歩でないことを、四代目社長杉田肇はよく知っている。「微妙な手加減が必要なので、精巧なロボットでも熟達した職人を超えられない」と杉田は語る。また、「焼きたてのおいしさが身上ですから、そういう売り方ができるところだけで売っていきたい」とも。

杉田は、この商品を本高砂屋の和菓子の核と位置づけ、いっそう愛情を注いでいこうとしている。神戸・元町本店で、きんつばの名の由来となった刀の鍔(つば)の模様入りを限定販売しているのもその表れ。目の前で焼いて、焼きたてを売る京都大丸内の「きんつば亭」なども、杉田のこだわりから生まれた店舗である。昔ながらの懐かしい味をかえって新鮮に感じるような、若い世代へのアピールも、考えているところだ。


このページの先頭へ