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お菓子の開発物語

モンロワ

モンロワ

木の葉を思わせる形は、実は”盾”。ヨーロッパの王侯貴族の象徴でもある”タテ”である。中心に型押しされた”R”はROI(ロワ)であり、意味は”王”。さらにRの右上に、シズクの形をしたものが見える。これは王の一滴の血を意味し、その昔、貴族の血は赤ではなく青とされ、その高貴さを強く表したという。(パッケージでは青となっている)その王にMONを冠し、この菓子をモンロワ(私の王様)と名付けた思いは、エコルセ発売より10年を経て、確かな感触を得た自信でもあったし、最上のグレードを求める職人のあくなき向上心でもあった。

15歳の時からこの道に入ったという米田正治。その風貌からは半世紀近く菓子づくりに携ったという気負いも驕りも見られない。「焼き菓子のコツは材料の混ぜ具合。生地を殺さずどれだけ空気をおいしく食べられるようにするか」という言葉には、長年の経験によって培われた極意がうかがえる。

モンロワはこの米田を中心に商品開発がスタートし、その後商品化が進められ、発売は昭和54年である。エコルセが世に出て既に10年、煎餅を薄く焼くという他社が真似のできない技術を生かした新しい菓子を作ることは、菓子職人達に課せられた使命でもあった。薄い生地は一枚では形にならず三枚重ねたものを型で抜いて使い、それを二枚合わせたものの間にさまざまな素材を挟んで試作が繰り返された。水分をよく吸うのでチョコレートのようなものは湿気でしんなりしてしまい折角のサクサクした食感がそがれてしまう。ジャム状のものも同様である。

そこで考えられたのが、ナッツ類を碾(ひ)き、それに砂糖をカラメル状にしたものを混ぜ合わせる方法である。これはプラリネと呼ばれ、砂糖を焦がしてカラメルにし、少量のバターを加え飴状になる前に、碾いたナッツを加えて薄くのばしたものである。砂糖がカラメルになる時の温度で自然にナッツが炒られ、カラメルにナッツの味がほどよく馴染む。しかし、温度が高すぎれば溶けてしまうし、低すぎてもナッツが十分に炒られず、香りが出ない。

米田は洋菓子作りの手法を用いてこの難しい注文をクリアした。モンロワの原型が出来上がったのである。「菓子作りに化学の知識は欠かせない。そしてその知識の応用には経験と妥協を許さない職人魂が必要」といわれるが、米田の仕事ぶりはその言葉を実証している。とはいえ、当時のことを振り返るとそれなりの苦労はあった。チョコレートなどの失敗の後も、くるみは苦すぎて使えず、また、ピスタチオは緑の色をだすのに力を注いだが、火を入れるためどうしても叶わなかったという経緯もある。添加物や着色料を一切使わないという方針があったからだ。

さてここまでは手作りによる味作りである。が、その後商品として世に出すためには、生産性を高める問題をクリアしなければならない。原材料の配合や安全性、味の好みや嗜好なども範疇に入れて考えるとなると、機械そのものを作ったり改善したりしなければならない。しかし、考えてみると「旨楽味遊」を社是とする本高砂屋ならではのお菓子づくりと言えるかもしれない。そして、ひとつの菓子が世に出るまでにはさまざまな側面から多くの人々が心血を注いだことに改めて気付かされる。

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モンロワ

「エコルセの間にプラリネをサンドしてみてはどうだろう…」ある菓子職人の、そんな小さな閃きから誕生したモンロワ。ヨーロッパ王侯貴族の盾をモチーフとしたその気品ある姿や、心地よくキレの良い歯触り。そして、とろけるようなプラリネの芳醇な香り。店頭に並ぶ商品として、完璧なまでのグレードを持つそれらモンロワの醍醐味のすべては、数限りない試行錯誤から生まれた”小さな奇跡”の結晶なのである。

今こうして生きていることこそが大いなる幸運であり、奇跡である”…人は日々のささいな幸運に感謝し、しばしばこんなセリフを口にする。今でこそモンロワは全国の本高砂屋の店頭に整然と並んでいる。しかし15年前、その商品としての完成に向け連日試行錯誤を重ねていた菓子職人たちにとっては、店頭に並ぶモンロワの姿はまさに”小さな奇跡”以外の何ものでもない。

モンロワの商品企画が持ち上がって以来、その商品化の第一歩である原形作りは菓子作り50年のベテラン・米田正治らによって進められた。そして彼らの全くの手作りによる原形がようやく完成すると、次は商品として生産するための機械やマニュアル開発の段階である。そこで米田よりバトンを引き継いだのが、第二工場長の松下弘毅とモンロワ部次長の藤原蔵茂である。

彼らがはじめにクリアしなければならなかった問題は、3枚のせんべいを薄く均等に焼き、モンロワのあのバイアスのラインを忠実に表現することだった。作業はまず1枚1枚の生地をドラムロールで焼くことから始まった。3枚の焼け具合に差があってはならないので、ドラムロール内の火力を微妙に調節しなくてはならない。さらに焼き上がった生地は、熱いうちに素早く重ねて型で抜かなければならない。ほんの1℃の差が、そして1秒のタイミング差がはっきりと仕上がりに影響するだけに、確実なデータが得られるまでには膨大な時間を必要とした。そして問題のデザインは、3枚の生地のうち2枚を同じ幅に焼いて重ね、もう1枚をその半分の幅に焼いて一番上からバイアスに重ねるというアイデアで解決。モンロワの断面をよく見ると、2層の部分と3層の部分があるのはそのためである。

また、プラリネ(挽いたナッツとカラメル、バターを合わせて練ったもの)を焼けた薄い生地に塗る作業も難航した。はじめは手のひらやコインマットの上に上に生地を置いて塗ってみたり、袋からプラリネを絞り出したりしてみたが、繊細な生地はすぐ割れてしまう。そこで登場した松下の名案は、私たちが”ガリ版”と呼んでいた、昔懐かしい騰写版の原理を応用したものだ。モンロワと同じ形の柔らかいシートにプラリネを塗り、それを生地の上に置いてそっと押さえて乗せるという手法。つまり、謄写版のインクがプラリネに当たり、印刷される紙がモンロワの生地なのである。

こうした、数々の小さな閃きと奇跡の末に、モンロワの商品化が実現した。今でこそモンロワのように甘みが少なく、ほろ苦い菓子は巷に当たり前のように出回っているが、15年前の当時はそうした菓子など想像だに及ばぬものだった。そんな時代にモンロワの可能性を信じ、ゼロからスタートした彼ら。日常のラインの仕事をこなした後に、連日夜遅くまで行われた研究開発作業もいとわぬその情熱。モンロワをいとおしげに包む化粧箱の赤い色には、そんな菓子職人たちの熱い思いが込められているのかもしれない。


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