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お菓子にまつわるいい話

日本の祭り2 星の祭り

【 四季を愛でる、日本の祭り その2 】

宵の涼やかな風に揺れる、笹竹に五色の短冊。織姫と牽牛の悲しい恋の物語で知られる七夕祭りはまた、日本古来の盆の行事とも深い関わりを持つものです。今回は、夏の風物詩として今も広く親しまれている七夕祭りの、知られざる逸話のあれこれをご紹介してまいりましょう。

夏の星空に込めた、数多(あまた)の願い

織女と牽牛 年に一度の逢瀬を願う、星空のロマンス

夏の夜空にひときわ輝く琴座の主星ベガと鷲座の主星アルタイル。またの名を織女星、牽牛星として知られるこの二つの星は、時期によって互いに遠く離れて見えたり、著しく近づいて見えたり、そんな不思議な現象から、有名な「七夕伝説が誕生したといわれています。古代中国で生まれた七夕伝説には諸説ありますが一般的には次のような物語として知られています。「天の川の東に住む天帝の娘・織女は、たいそう美しく機織りの上手な娘であったが、くる日もくる日も機織りばかりに明け暮れる毎日。その健気な姿を見て気の毒に思った天帝は、織女に婿を迎えようと思い立つ。織女の婿に選ぱれたのは、天の川の西で牧童をしていた牽牛という若者。夫婦になった織女と牽牛は楽しく暮らしはじめたが、あまりにお互いに夢中になりすぎたため、ついには機を織ることも、牛を世話することもすっかり忘れてしまった。そんな二人に腹をたてた天帝は、二人を天の川の東と西に引き離し、一年に一度しか会えないようにしてしまった…」日本同様にこの七夕伝説が伝わる韓国では二人が天の川を越えて出会う七月七日には、鵲(かささぎ)が天に上って天の川に橋をかけるという言い伝えがあります。鵲が群れになって飛ぶ様を下から見上げると、あたかも天の川に架せられた橋のようにみえることから、このようなロマンチックな逸話が生まれたのでしょう。

創作和菓子「笹船」 創作和菓子「笹船」

乞巧奠(きっこうでん) 裁縫の上達を願った、古代中国の行事

こうした七夕伝説に基づく中国の星祭りは、「乞巧奠」と呼ばれる古式豊かな伝統行事を中心として執り行われます。この行事は、女性にとって大切な仕事である裁縫の上達を祈願するもので、織女星が養蚕や糸、針の仕事を司る星と考えられていたことがその起こりです。中国では現在でも、旧暦七月七日になると、家の庭先に机を持ち出し、七種の菓子、七本の針、七筋の五色の絹糸を供えて星に願いをかけ、にぎやかな宴を催します。一方、中国から日本に乞巧奠の風習が伝わったのは平安時代のことで、室町時代には正式な節会の一つとして定着していたようです。七月七日の宵、宮中では中国にならって机の上に紙、硯箱、箏(そう)、笛、琵琶などを据え、また衣紋掛けの竿に青、責、赤、白、紫の五色の絹布と糸を垂らし、学問と技芸の上達を願ったのだとか。また、その他にも七という数字にちなんで七種の遊ぴをする、七百首の歌を詠む、七調子の管弦に興ずるといった風雅な趣向が好まれ、本来の目的からは少々逸脱した、遊びとしての要素もかなり多かったようです。またそんな中、庶民の間では、本来の乞巧奠の趣旨どおり、裁縫の上達を祈る女の子の祭りとして広まりを見せます。さらに江戸時代になると、寺子屋の普及とともに、習字や学問の上達を願う行事としても発展。現在の七夕祭りの原形が完成されていったのです。

季節の和菓子「笹露」(手前)「笹衣」(奥) 季節の和菓子「笹露」(手前)「笹衣」(奥)

棚機女(たなばため) 秋の実りを願い機織る乙女たち

中国の乞巧奠をルーツとする七夕祭りは、本来は「シチセキ」といい、桃の節句や端午の節句と並ぶ五節句のひとつでした。ではなぜ、現在では「タナバタ」という名で呼ばれているのでしょうか。その理由には、この祭りのもうひとつのルーツが隠されているのです。古来、日本では旧暦の七月十五日が盆に当たる日でした。農耕民族である日本人にとっての盆は、畑作の収穫に感謝を捧げ、秋の稲作の実りを祈願し、さらに祖先の霊を祭る、一年で最も重要なイベントの一つ。その準備は七月七日から早々に始められ、人々は家を隅々まで掃き清め、笹飾りを飾って来る十五日に備えました。その傍ら、盆とともに訪れる農耕の神に棒げる布を織るため、村の乙女たちは川や池のほとりにしつらえた棚の上で機織りをしたのだとか。彼女たちは「棚機女」と呼ぱれ、これが現在の七夕の語源になっているといわれます。すなわち、七夕の行事はもともと、盆を前にして日々の汚れを清めるために行われたものだったのです。今でも地方によっては、七夕の夜に水浴びをしたり、井戸をさらう習慣があるのは、そうしたことの名残なのです。このように日本の七夕祭りのルーツは、中国から渡来した乞巧奠だけでなく、日本古来の盆の行事とも深い関わりがあるのです。

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暮らしに息づく、今様の星祭り

七夕竹 身を清め、願いを天に届ける七夕送り

七夕といえば、色とりどりの短冊や吹き流しなどをあしらった「七夕竹」がつきもの。この七夕竹には、織女と牽牛が七月七日の逢瀬を楽しんだ後、天に帰る際に、さまざまな人々の願いを天に届けると同時に、この世の汚れを持ち去ってもらおうという、禊(みそぎ)の意味もあるのだとか。そのため、七夕が終わるとこの七夕竹を川や海に流すという習慣が生まれ、地方によって「七夕送り」、または「七夕流し」などと呼ぱれています。全国的に有名な仙台の七夕祭りは、もともと6日に飾った七夕竹を7日の夜に川に流す「七夕送り」の行事で、伊達政宗が奨励して始まったものといわれています。同じく、青森のねぶた祭り、秋田の竿灯(かんとう)祭りなども伝統的な七夕行事のひとつです。また、七夕竹に添えられるさまざまな笹飾りにも、古来よりのいわれがあります。書道の上達を願う短冊は、昔、芋の葉にたまった露で墨をすり、梶の葉に歌を書いたという宮中の行事がその始まり。また五色の吹き流しは機織りの上達を、折り鶴は長寿を、投網は豊漁を、それぞれ願ったものだそうです。

創作和菓子「天の川」(右)「星影」(左) 創作和菓子「天の川」(右)「星影」(左)

七夕菓子 涼やかに季節を象(かたど)る、和菓子の意匠

七夕にちなんだ食べ物といえば、まず素麺が思い浮かびます。しかし、七夕に素麺を食すのは、何もそのひんやりとした喉越しのためばかりではありません。これは昔、夏になるとはびこっていた疫病を水に流すという意味が込められたもの。今でも、七夕祭りになると素麺を食す習慣の地方があるのはそのためです。また、和菓子の世界では、かつて七夕祭りの時には索餅(さくべい)と呼ぱれる縄状の小麦粉の食品が作られていましたが、現在ではもう目にすることもなくなってしまいました。それに替わって、今では七夕をモチーフにした創作菓子が多く作られるようになりました。天の川、笹、星、糸巻き、短冊など、星空へのロマンと郷愁にあふれた涼しげな意匠の菓子たちで、この季節、菓子屋の店先は賑わいます。

創作洋菓子「ポワッソン(魚座)」 創作洋菓子「ポワッソン(魚座)」

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