• オンラインショップ
  • 商品紹介
  • 店舗一覧
  • 資料室
  • 談話室

ホーム > 資料室 > お菓子にまつわるいい話 > 花見菓子とお抹茶

お菓子にまつわるいい話

花見菓子とお抹茶

【 X+Yのおいしい関係 その1 】

「花」といえば桜を意味するほどに、昔から、桜は私たち日本人にとって特別な想いのある花。それだけに、和菓子の世界でも五枚の薄紅の花びらをモチーフにした菓子は数限りなく、また茶の湯の世界では、、その開花とともに花下遊楽の茶会が盛んに開かれます。春の盛りにお届けするデセール特集では、わが国特有の「花見文化」から誕生した色鮮やかな和菓子と茶の湯のおいしい関係についてお話しいたします。

花見文化と和菓子の四方山話

「花見」は桜の”気”を全身で浴びる神聖な行事

古来より、農耕民族である日本人にとって、暖かくなると一斉に開花する桜は農作業の始まりや、新しい生命の芽生えを告げる花でした。桜の花の咲き方によってその年の作柄の吉凶を占ったり、その力強い生命力にあやかるために信仰の対象となった、神聖なる存在だったのです。今も私たちは花見をするとき、樹の下に入って花を楽しみますが、それは桜が放つ精気をからだで受け止め、自分の生命力を高めようする自然信仰の名残りなのだとか。そういわれてみれぱ、桜の花が下を向いて咲いていることに、皆さんはお気づきでしたか?

平安貴族の雅びやかな宴から江戸庶民の行事へ

とはいえ、古代の日本では桜という花はそれほど重要な位置を占めるものではありませんでした。特に奈良時代は大陸の唐文化の影響が強く、中国原産の梅が最も富貴な花とされていたのです。万葉集にも桜を詠んだ歌はありますが、梅や萩の歌の数にはとうてい及びません。平安時代になり、独自の和の文化が育まれるようになると、ようやく貴族たちを中心に桜を愛でる文化が誕生し始めます。歴史の記録に残る最も古い花見は、812年に嵯峨天皇が南殿に桜を植えて催した宴だといわれています。それ以来、貴族たちの間で桜のある邸で宴を聞き、舞をさし、歌を詠むことが流行、定着していったのです。やがて、そうした花見の文化は時代とともに武士や仏教の僧たちの間にも広まり、1598年に行われた豊臣秀吉の「醍醐の宴」をきっかけに庶民にも知られるものとなりました。そして、この頃から”吉野詣”を始めとする桜の名所を訪ねる旅が一般大衆の娯楽になったといわれています。さらに、庶民文化が成熟する元禄時代になると、花見は庶民の行事として定着し、江戸の向島・上野、京の嵐山・祇園などが花見の名所として大勢の人でにぎわうようになりました。町娘たちは新調した”花見小袖”で着飾り、老若男女が花の下に毛せんを敷いて重箱の弁当を広げ、酒を酌み交わし、今日の花見と同じようなどんちゃん騒ぎをしたといいます。その模様は、有名な古典落語「長屋の花見」で軽妙に語り継がれています。

焼き桜 焼き桜(関東風桜餅/参考)

愛でるがゆえに、花を食す

また、日本人の桜好きは、花を観賞するだけにとどまらず、花を食すという行為にまでも表れます。皆さんがよくご存じのところでは、結婚式や結納などのおめでたい席で出される桜湯。これには、末広がりの意味を込めて、塩漬けの八重桜が用いられています。また、同じ塩漬けの桜をあつあつの白粥に入れていただく桜粥といった風流なメニューもあります。さらに、桜をあしらった大福、葛饅頭、といったさまざまな和菓子もありますが、やはり代表的なのは何といっても桜餅でしょう。この桜餅は、もともと江戸時代に隅田川河畔の桜の葉を利用した江戸名物として売り出され、大ヒットした商品。桜色に染めた新粉を薄く焼いた生地で餡を巻き、さらにそれを塩潰けの桜の葉で包んだ江戸前のものです。葉の塩味と餡の甘みが織り成す微妙なハーモニーを楽しむべく当時の江戸っ子の間では葉ごと食べるのが粋とされていたようです。ちなみに、京風の桜餅はこれとは少し異なり、新粉の焼き生地のかわりに道明寺を用いたおはぎ風のものです。また、花見で忘れてならないのが、花見団子。これには花や葉自身は使われていませんが、桜の薄紅色、若葉の緑、春霞の白を取り含わせた三色の串 団子は、春らしい華やぎと愛らしさを感じさせてくれます。

花見団子 花見団子

このページの先頭へ

ピクニック感覚で、今どきの「野点(のだて)」

留学僧が中国から持ち帰ったお茶

野点

今では日本の代表的な伝統文化のひとつとなっている茶道に書かせない抹茶。しかし、これはもともと鎌倉時代に留学僧・栄西が中国より持ち帰ってきた、大陸伝来の品なのです。お抹茶は玉露の一級品同様、新芽が出始めたところでお茶の木を直射日光からさえぎり、渋みが少なく、香りの高い葉で作られます。摘み取った葉はもまずに開いたまま蒸して乾燥し、石臼で挽いて粉末に。緑の鮮やかな葉を厳選し、手間暇かけて作られるので、昔も今も高級品であることに変わりありません。しかし、その高級品であるお抹茶も、江戸時代初期にはすでに農家の主婦たちにまで広がっていました。当時の農家の暮らしの指針を説いた「慶安の御触書」にもそれに関する条項が見受けられます。『大茶を飲み、物まいり・遊山すきする女房を別離すべし』というおだやかならぬ一文なのですが、それだけ娯楽として庶民にも浸透していたことの証なのでしょう。

知っておきたい主菓子と干菓子の関係

果心庵

そして、お抹茶といえぱ和葉子。本来、お茶席で出されるお菓子は一般のお菓子とは異なり、次に出てくるお抹茶をよりおいしくいただくためのもの。つまり亭主がその日の茶事の内容や趣向にあわせて、心を込めて吟味したこだわりの品なのです。ここで知っておくと趣深い、お茶菓子の基本ルールを紹介しておきましょう。まず、お茶事に出される菓子には、主菓子と干菓子の二種類があります。主菓子は、懐石膳の後に出される濃厚なお茶「濃茶」のための菓子。それに対する干菓子は、食前の軽いお茶「薄茶」のためのお菓子です。主菓子は主として”上生”と呼ばれる生菓子で、ボリュームがあります。干菓子は落雁、煎餅などを中心とした乾いたお菓子で、ちょっとつまむ感覚の軽い菓子です。濃茶、薄茶、それぞれに出されるお菓子の意味を知っているだけでも、そのぶんお茶をいただく時の趣の深さが違います。たとえ自分でお点前ができなくてもお呼ぱれの茶席でよりいっそう楽しめますし、また普段でも、お客様をお招きして和菓子をお出しする際の参考になります。

カフェオレ・ボウルを器に気軽なピクニック茶事

日月一上

茶道の世界では、春から初夏にかけて、ことに桜の季節には、「野点(のだて)」と時ぱれる屋外での茶会が頻繁に催されます。桜の花を愛で、懐石やお茶をいただき、春の陽気を満喫する。茶道愛好家のみならずとも、屋外へ出かけたくなるこの時期、この際めんどうなお点前はさておき、アウトドア感覚で、ルール無用の気軽なピクニック茶事を開いてみてはいかがでしょう。?まず、お弁当はいつものサンドイッチやおにぎりでOK。春の和菓子をモダンなジャパネスク風のお弁当箱に詰めて、あでやかな色合いのペーパーナプキンやプレートを添えましょう。そして、朝食に使うカフェオレ・ボウルを茶器の代わりに。お抹茶は、こだわってとっておきを選んでもいいし、最近市販されている、カジュアルなスティック・タイプのものも使利です。あとは、お湯をわかすケトルと、茶筅(ちゃせん)、みんなが座れる大きなブランケットを一枚用意すれば、準備は完了です。鮮やかな新縁の中、舞い散る桜の下で、あなたなりの粋なピクニック茶事の演出を工夫してみてください。

  • 参考文献
  • 「さくら百花事典」(婦人画報社)
  • 「喫茶の文明史」守屋毅(淡交社)
  • 「食べものはじめて物語」永山久夫(河出文庫)
  • 「野遊び大図鑑」(学習研究社)
  • 「生活ごよみ」千宗室、千登三子(講談社)

このページの先頭へ